原作と映画の違い

12月8日(土)に街角ブックトーク「勝手に文豪を読み直すミニ講演会」(「宮崎県本から始まる交流」委託事業)を開催しました。

第4回は「号泣、松本清張『砂の器』」と題して、演出家の蛯原達朗さんの話しでした。当日の様子を報告します。

略歴(松本清張記念館サイトより抜粋)
・明治42年(1909) 12月21日、福岡県企救郡板櫃村(現、北九州市小倉北区)で出生。父・峯太郎、母・タニ。
・大正13年(1924)15歳、板櫃尋常高等小学校(現、清水小学校)卒業。川北電気株式会社小倉出張所の給士に採用。
・昭和3年(1928)19歳、小倉の高崎印刷所に見習いとして就職。
・8年(1933)24歳、福岡市の島井オフセット印刷所で、半年間版下工の修業。
・12年(1937)28歳、朝日新聞九州支社の広告版下を手がける。
・18年(1943)34歳、正社員となる。10月から3ヶ月間、教育召集により入隊。
・20年(1945)36歳、敗戦を朝鮮全羅北道井邑で迎え、10月復員。
・25年(1950)41歳、『週刊朝日』の“百万人の小説”に応募した「西郷札」が三等入選。
・28年(1953)44歳、「或る『小倉日記』伝」が芥川賞を受賞。12月朝日新聞東京本社に転勤。
・31年(1956)47歳、朝日新聞社退社。日本文芸家協会会員となる。
・33年(1958)49歳、「点と線」「眼の壁」の単行本がベストセラーになり、社会派推理小説ブームおこる。
・35年(1960)51歳、「文藝春秋」に「日本の黒い霧」連載。“黒い霧”は流行語となった。
・38年(1963)54歳、「日本の黒い霧」「深層海流」「現代官僚論」などの業績で日本ジャーナリスト会議賞受賞。
・42年(1967)58歳、「昭和史発掘」「花氷」「逃亡」などに対して、第1回吉川英治文学賞受賞。
・45年(1970)61歳、「昭和史発掘」を軸とする意欲的な創作活動により第18回菊池寛賞授賞。
・53年(1978)69歳、放送文化の向上に功績があったとして、第29回NHK放送文化賞受賞。
・平成2年(1990)81歳、社会派推理小説、現代史発掘などの作家活動により89年度朝日賞受賞。
・4年(1992) 8月4日死去。(享年82歳)

第一部(概要)

1、『 半生の記 』から
喧嘩ばかりしていた父と母、幼少期の貧しい暮らし、上級学校への進学はあきらめ、底辺の職を転々。デザイン職で生活を安定させたいと朝日新聞西部本社に雇われるが、正社員との身分差に絶望する。「私に面白い青春があるわけではなかった。濁った暗い半生であった」

2、『 西郷札 』
もともと作家志望ではなく、生活のため勤務中に書いた処女作『西郷札』が直木賞候補になる。宮崎県佐土原町が舞台になり、映画化され、ロケも行われている。

3、『 或る「小倉日記」伝 』
芥川賞の選考委員であった坂口安吾から激賞される。小倉を舞台に、森鴎外が軍医として小倉に赴任していた3年間の日記「小倉日記」の行方を探す人物を描いた短編小説。清張が小説家に専念するきっかけになった作品。

4、社会派推理小説ブーム
『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』『黒革の手帳』など。映画化作品35作品以上、テレビドラマ化400作以上。清張以前と以後では推理小説のスタイルが異なるといわれるほど先駆的であった。

5、人物像
酒も食事もあまり興味なく趣味はパチンコ。菓子は「かるかん」、コーヒーは1日に10杯以上、銀座のバーでもホステスに質問攻めだったという。「私はハッピーエンドは好きじゃない」「女性の出てこない作品は成立しない」と述べる。女優では新珠三千代が好み。

人の好き嫌いが激しく、「門前払いにされ涙を流した(森村誠一)」「取材結果を一蹴され、殺意を感じた(郷原宏)」「逆境にあったり、虐げられたり、コツコツ努力する人間に対しては殊の外あたたかい(林悦子)」など。

6、『 砂の器 』
1960年から1961年にかけて『読売新聞』夕刊に連載された。 ハンセン病の父、村を追われた父子とその後の物語(殺人事件)。これまでの清張作品や生い立ちから元ネタを探る。

1974年に松竹で映画化、脚本は橋本忍、山田洋次、監督は野村芳太郎、音楽監督は芥川也寸志であった。 橋本忍のリメイクが秀逸。本浦千代吉役の加藤嘉がとても良かった。号泣、間違いなし。

第二部
トーク相手は劇団員のまなべゆみさんと森夢希さん。一部では作品の朗読もされました。小説と映画の違いに始まり、世代による時代感覚の違い、人間ドラマの魅力などを話されました。また劇団SPC団員の「読書っていいよねのきっかけになったこの一冊」「いろいろ読んだ懐かしい作品たち」も紹介され、まさにブックトークが行われました。

第三部
コーディネーター段正一郎さんの「原作の浅さと映画の深さの違いって何だろう。清張にとってハンセン病さえ材料のひとつでしかない」という問題提起から始まりました。参加者からは、執筆の動機は何だったんだろう?、社会派といわれる根拠は、社会の底辺をルポルタージュ風に描いた意義は大きい、重いテーマもウェットにならない、はたして古典として読み続けられるだろうかなど、松本清張についていろいろ語られました。

時間オーバーになるほど、いろんな方々が発言され、熱気に包まれていました。

終了後の打ち上げは、会場隣り「浜ちゃん」で。ここでも盛り上っていました。