裂くは幸配る
1月20日(日)「私の生き方」シリーズ第5回を開催しました(一般社団法人みやざき公共・協働研究会主催、当法人協力)。
今回は、木城町で織物をされている多々野禮子さんの話で、「笑いのある生き方」というテーマでした。
プロフィール
島根県で保育園の栄養士として10年間勤務後、1987年会社協同設立。裂き織りに出会い、織り機を開発。全国販売を手掛ける。就学前園児、障がい者施設、リサイクル施設等に織り機を納品指導。県立高校非常勤講師、県教育委員などを歴任。2005年にNPO法人かぜのゆめを設立。2014年に退職後、宮崎県木城町に移住。組立式織り機を再開発し、車に乗せ、愛犬とともに旅する織り人。豊かな自然のなかで無農薬、無肥料で野菜作りを楽しむ。
さき織りの効用
裂くの語源は、幸配る、幸久しくだという。織ることは、弛緩と収縮の繰り返しで脳の刺激にもなり、無になれる。一つひとつに思いが込められ、さき織りを通していろんな出会いがあり、生き方にも影響を与えられる。縦糸、横糸も一期一会である。
当初、亡くなった父母の衣服をさき織りにした。織物には思い出があり、お守りになっている。
自分が前向きに生きているかを考える。一歩がなかなか踏み出せない人がいる。その一歩を後押しできたらと、安心して悩みを聞いてくれる場所としてさき織りをやっている。
苦しいことをとことん聞いてあげて、もうそれ以上話すことがなくなったら、笑おうといっている。姫ちゃんという虐待された犬がセラピー犬としても活躍している。
4人の方がさき織りの出会いなどについて語られました。
Yさんの話
脳梗塞を3回も患い、半身マヒに陥った。「らいふのパン」で裂き織りに出会い、興味を持ち、不自由な身体で始めた。裂けるものと裂けないものとがあり、また、無になれる。病気したからこその出会いであり、励みになっている。
Kさんの話
学遊館で裂き織り体験があり、夢という織物に興味があった。亡くなった夫の派手な海水パンツを裂いた時、心にへばりついていたモヤモヤが解けていった。木城に子どもたちと貸し切りバスで行くことができてとても良かった。
Tさんの話
食と健康について活動している。1.食と習慣が大事、病は食から。2.病院は対処療法、根本解決にならない。3.環境が病気を作る。自己コントロールが大事。裂き織りはそのひとつの道具。
Nさんの話
金丸さんからの紹介で裂き織りを知った。物作りの好きな生徒がいて、木城で裂き織りを体験した。ものを作ることで生徒が変わっていった。
多々野さんの父親の思い出
私は親に怒られたことがない。学校に行きたくない理由を言えば行かなくて良かった。その後も何にも聞かれなかった。好き嫌いが多かったけど、強制はされなかった。自由に生きさせてもらった。
12歳の時、父が大病、医療関係につきたいと思ったけど、カエルの解剖て気絶し、断念。3ヶ月休む。成績のことは一切言わず、手に職を持ちなさいといわれた。ただ、東京の順天堂大病院に就職が決まっていたが連れ戻された。
そんな体験から幼稚園の給食ではバイキング方式をとった。子どもに考える時間を与えたい。「わからない」もひとつの答え、子どもひとり一人は異なる、子どもも一人の人間、褒めて育てるという考え方でやってきた。働くは、はたを楽にすること、らくは楽しい。
困っている人は行政機関の相談所にはなかなか行かない。いろんな作業所や事業所が居場所となり、そこで相談を受けるようになるともっと救える人が増えるのではないか、という意見が出されていました。
当日は、さき織りの作品をたくさん持ってきていただいて、その作品を見ながら話題が広がりました。